2007年3月25日 (日)

相談日時の変更jのおしらせ

こまったことになってしまいました。ホームページの更新ができなくなってしまいました。(このブログではありません)更新の内容は、作成して後は、アップするだけなのですが、どうしてもできません。以前に何回も更新しているので、やり方がそんなに間違っているとも思えないのですができないのです。あちこちに問い合わせして考えられることはすべてトライしたのですが・・・・・・・・

何日も時間をかけて、それで達成感がないと本当にむなしくなるものですね。今のところお手上げです。便利なパソコン。でも、私のような人間には何かあるといつもパニックです。

ということで、更新できないのでここで、更新内容についてはお知らせします。もうしわけありません。

一番の大きな更新は

1.相談時間の変更です。

4月から相談日が  金曜日から月曜日になります。

  <面接相談時間>金から月 10時から19時

  <電話相談時間>金から月 10時から21時

となります。それにともない

   <電話受付時間>金から月  10時から18時となります。

    ただし、電話が出れないことも多いので、さしつかえなければ、お名前、連絡先を留守電にいれておいていただければこちらから連絡いたします。

メールの場合はいつでも送信してください。メールでご連絡いただけると一番各地実かと思います。

わかりづらい点もあると思いますがよろしくお願いします。

   

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2007年3月 1日 (木)

くもっていては

長いことつかっていたコンタクトレンズをようやくとりかえました。ハードレンズですが、6年つかっていました。特に目のトラブルがあったというわけでもないのですが、すこしものがみずらくなってきたので、重い腰を上げて、お店にいきました。

そうして、わかったことは、視力そのものはそれほど、低下していなかったのです。古いレンズを使い続けていて、そのせいで、すこしみえかたがぼんやりしていたのではということでした。

それで、新しいレンズに変えてみたら、目が軽い、明るい、はっきりという感じになりました。そうして、外の世界がぱあーと、新鮮なクリアーな感じで飛び込んできました。ちょうど、3月、暖かい春の光がいっぱいの時期なので、余計そう思ったのかもしれませんが。

でも、どんなに明るい光でも、その光をとおすレンズがくもっていては、せっかくの明るさを充分感じることができないこともあるのだとよくわかりました。

心の目をくもらせていても、同じことかもしれないという風に書いてしまうのは安易な感じでちょっとためらいますが。でも、悲しみや怒りや、恨みなどネガティブな感情だけに、染まってしまうとレンズはくもってしまうかもしれないなあとやはりちょっぴり思いました。あるいは、物事を悪い方にばかりとらえがちな考え方もちょっとレンズをくもらせるかもしれません。

きれいになったレンズが世界そのものをかえたというわけではなくて、世界をありのままに見せてくれるようになったような気するということですが。

これからの花の季節がかなり楽しみになってきました。

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2007年2月25日 (日)

つなげていくこと

立ち止まることと流れることのバランス。これがむつかしいんだとわかってきました。いえいえいたいした話ではありません。家事のことです。

一応主婦になって○十年。当然家事はもうベテランというべきなのでしょうが。これが、いつまでも苦手なのです。なかには料理など、好きな家事もありますが。掃除、洗濯、あいかわらず、下手だし、さぼりがち。

忙しくて時間がないころは、それを理由にしていたのですが、けっこう、時間のある最近でもさほど状況はかわりません。家事をするくらいなら、なにかほかのことをしていたいのが本音でです。

で、4月からまた忙しい生活に逆戻りすることになったのですが、こんなことでは、家の中がひどい状態になるのではと思い、なんだか、心配です。

で、いろいろ考えてしまいました。ひとつ思い当たったことがあります。私って、どうも家事をひとつひとつばらばらにしてしまっているのではということです。たとえば、料理は、料理でひとまとまりの時間。掃除も掃除の時間をきっちりとる。という風にです。(洗濯はさすがに、あいま、あいまにしますが。)

料理の下ごしらえをしたら、他のことをする。また、続きの料理をして、ちょっとレンジがよごれたら、その場ですぐに掃除。というような流れのなかで、家事をするということが不得手なんだ改めて思いました。

集中してやるのは、よいことも多いのですが、とりかかるのに、おっくうになったり、時間がとれなくて、効率が悪いのです。これは、一日の流れをもう一度みなおしてみる必要があるなあ。絶対そうだなあと思いました。この年になって、こんなことに気づくのも恥ずかしい限りですが。

家事の問題から、更に考えたのですが、いろいろなことはつながっている。仕事も勉強も家事も、趣味も交際、も娯楽も、そういう風に考えて、流れを考えていくほうが、いろいろなことができるような気がしました。

ひとつのことにじっくりととりくまなければできないとかたまったいたものが、流れだしたりつながったりしてきたのかもしれません。家事のことはきっかけで、まだ何か、出てきそうな感じがしています。要は時間の使い方の問題だったのでしょうか。時間は日々、有限なものになっているわけなので、大切にしなければ。

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2007年2月19日 (月)

身体で表現

昔は、心の中に溜め込んでいる感情や思いを表現するのには、言葉一番と思っていました。たしかに、言葉になることができなくてもやもやとしていた思いや、漠然と感じていた感情をゆっくりと言葉に置き換えることができたときは本当にうれしいものです。心の中がすっきりと落ち着きます。こうやって文章にするのも好きですが、文章もやはり言葉で表現すると言うことでは変わらないかなあとおもいます。

言葉以外の表現というと、まず思いつくのはアートでしょうか。画や彫刻などで表現する。これもいいなあとは思います。しかし、どうも画は苦手で。表現するというところまでいきそうもありません。つい、上手い下手を考えてしまいます。まあ、言葉で表現できればいいか、文章もかけるし戸、ずっと思っていました。

ところが、最近みつけたのです。新しい表現を。それは、「踊り」なのです。なんと、なんと、と言う感じです。ダンスは全く踊れません。今まで踊りと言えば、盆踊りくらいの物でした。

ここでいう「踊り」というのは、正式には踊りとはいえないかもしれません。ただ、身体を動かしているだけなのですから。形もないし、だれかにおそわるわけでもありません。ただ、音楽にあわせて身体を動かします。音楽のメロディーやリズムで、身体が自然に動くのにまかせるだけです。

これがとても自然です。気持ちもいいしすっきりします。すっきりというのは、身体をうごかしているからすっきりというだけではなくて、自分の中の、もやもやとしものや感情を表現できたことからも来るみたいに思えます。むしろ、言葉にもできないほど繊細な物を表現できるのは、身体の動きなのかもしれません。

こころで、こうしようと思うのではなくて、身体の深い分が自然にうごいてくる。これを「踊り」となづけています。そうして、時には、耳で聞こえる音楽すら必要としないほど、身体と心のおくから、動きが出てくるときがあります。そのときは、その動きに「祈り」とひそかになづけたりしています。

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2007年2月 6日 (火)

自己流の解釈です。

先週は少し調子が悪かったです。風邪をひいたとか、そういうことではないのですが、体に力がはいらない。眠い。眠い。という毎日でした。そんな時にも遠いところでお通夜があったりあらたまった用事で緊張しながらでかけたりもしましたが。でも、すぐに疲れるなあという感じでした。「あ、なんだか大変。」とつい思ってしまったり。

でも、どうも身体の具合が悪いとは思えない自分がいました。それより、何か自分が変化しているプロセスとして、調子が悪いような思いがしていました。

なんにも、根拠はないのです。ただそういう物語が私の中で生まれました。脳につめこまれた今までの経験や知識がちょっとぱんぱんになっている。すこし、頭の中を整理する時間が必要。そのためには、これ以上活動的になられてはこまるので、すこしペースをおとしてください。そんなメッセージをうけとっているような感じです。

で、眠いなら寝ようと、徹底的に早寝をしました。本当にぐっすりと眠りました。昼間も時間があったらごろごろして。だんだん、元気になってきました。きっとその間にも脳は、どんどん働いてくれて、プログラムを作り変えてくれたのでは、なんて、思ってしまうほどです。

ほんと自分にとって、都合のよい物語をすぐに作ってしまいます。でも、これって、ちょっととくな性分かもしれませんね。

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2007年1月26日 (金)

素敵な出会い

アサーションの考え方を中心としたコミュニケーションの講座の講師やグループワークのファシリテーターをしている。女性センターなどの、公的な場所で呼ばれることが多いけれども、地域の学習グループなどから、声をかけてもらうこともある。

「人数少なくても、予算がすくなくても、とにかくご相談ください。」と言うスタンスをとっている。カウンセリングや心理学の知識をいかしながらのワークショップが、家族や職場など身近な問題の解決や自分が幸せに生きることの役にたてばと願っている。だから、もし、やってみたいという気持ちがあるのなら、できるだけ希望に沿いたいと思っている。

でも、「何とかしたかったり、学んでみたいテーマはあるが、何をどうしていいかわからないし、講座やワークの内容についてもっと知りたい」という問いあわせを時々いただく。

そんななかで、まあ、一度お会いして話をしてみましょう。という流れになって、話をさせてもらうこともある。実際に、講座の実現するときもあるし、時期を見てということもある。

でも、お会いして、色々お話をするのは、それだけで、とても充実した時間。そんな話のなかでも、お会いしている人の暮らし、人生、が、顔をのぞく。

こんなことでもなければ、出会わなかった人たちと話をするなかで、共感し、刺激をうけ、色々な気づきもいただき学ぶことも多い。なにより、自分の知らない世界がまだまだたくさんあるんだということに、とても謙虚な気持ちにさせてもらえる。

どうぞ、講座やワークやグループをやってみたいと思っている方、お気軽に問い合わせてくださいね。話だけでも、全然かまわないですよ。なるべくご希望にそえるように一緒に考えていきましょう。

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2007年1月22日 (月)

敏感なのは

ヤクルトさんに、ヤクルトとヤクルト400と言う商品があります。同じような容器で、色も味も同じだと思っていました。含まれている乳酸菌の量がちがいます。ヤクルト400のほうがたくさんはいってます。(たしか、ガゼインシロタ菌?)

両方飲むことがありますが、飲んだだけでは違いがまったくわかりませんでした。容器に書かれている名前をみてはじめて違いがわかりました。ところが、最近、口に含んだ瞬間に違いがわかるようになりました。どこがどう違うとはいえないくらい微妙な話ですが、あたります。

これはささいなことですが敏感になってきたなあと思いました。身体が。以前は敏感ということは、何かマイナスのイメージもともないました。弱いとか、神経質とかいう意味で。

そういう面もたしかにあります。大らかに、細かいことは気にしないというタイプもいいなあとは思います。でも、敏感も良いことが多いようです。ささいなことに気づくことができます。ものごとが、はっきりする前の違和感がわかります。身体のことなら、疲れなど不調に速く気づき、早めに休息をとったりすることができます。においも敏感だと、いやなにおいなら、腐った物に速く気づきます。よいにおいなら、咲き始めた花の匂いにも気づくことが出来ます。色々なサインを速く気づくことが出来ます。

中心が安定していれば、感覚が敏感になることは良いことのほうが多いようです。

今はまだ、寒いのですが、これから、梅がほころび、春の香りがただようのでしょうね。楽しみ。

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2007年1月12日 (金)

家族の中の暴力

新年早々、ショッキングなニュースが続いています。家庭内での殺人事件というだけでは、あまり、驚かなくなっているけれど、やはり、遺体をばらばらにして捨てようとしたということは、衝撃でした。

兄が妹を殺害する。妻が夫を殺害する。いろいろな動機や、関連する状況が連日報道されています。どこまでが真実なのか、報道されていない事実というものも多いことでしょう。

ただ、私はこれらの事件で気になっているのは、やはり、「家庭内に日常的に暴力があった」という報道です。兄から妹は、以前から暴力を受けていという記事をみました。妻にいたっては、DVの被害者で、怪我もして、警察にも相談していたということです。だから、兄妹間、夫婦間には、暴力による力関係がもう存在していたということ、暴力を受けていた被害者には特別な心理状態があっただろうということが考えられます。

児童虐待もそうですが、閉ざされた家族内の暴力はどんどんエスカレートしていくように思えます。加害者と被害者の間には力関係による支配、被支配の関係があるのですから。

これらの事件の個別の背景があるのでしょうが、「家族間に存在する暴力」の結果としての殺人事件という思いが私には強くあります。マスコミの報道もそういう視点からもちょっと見てみる必要があるのだろうと思います。

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2007年1月10日 (水)

今年もよろしく

おそくなりましたが、新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします

ご挨拶がおくれた新年そうそうのいいわけですが、年末年始、パソコンのトラブルが続き、その対策におわれました。私にとっては、災難のように感じました。突然、パソコンの画面が消えて、すべてのものが見えなくなってしまったのです。

時々、調子が悪くなるので、いつかは、こんな日もと思ってはいたのですが、まさか、こん何突然こわれるなんて。そうして何かもなくなってしまうなんて。もちろん、予感がしたのにもかかわらず、バックアップとっていなかった自分が悪いのですが・・・頭を抱えてしまいました。

それから、いろいろありまして、悪戦苦闘の日々をへて、なんとか、またパソコンはつかえるようになり、さらに、すべて消えたと思っていたデータも大切なものは、復活できました。

せっかくの年末年始のお休みに、私って、いったいなにをやっていたのかしらという、思いもこみ上げてきますが、年の最初から、いろいろ学んだという風に考えて見ます。

「こまめなバックアップ」  本当に身にしみました。便利、便利なパソコンですが。紙ならありえない突然存在が消えるというマジックがあるのです。

「パソコンに時間をとりすぎていた」  習慣のように毎日パソコンにむかっていました。パソコンが使えなかったので、この年末は忙しいといいながら、かなり、お掃除すすみました。時間の使い方考えようと思いました。

「新しいスタートだったかな」  年末にすべての履歴が消えて、がっくりと同時に、自分の中の何かもすっきりさせたような感覚ももちました。入れ物ぎっしりだと、新しいものはいりませんよね。年の初めに新しいこと始めようかと思っていたことのきっかになりそうです。

とまあ、そんなことで、今年もスタートしました。どうぞ、また、よろしくおつきあいください。  

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2006年12月21日 (木)

3度のご飯

毎日食べる3回の食事のことを考えるのが、めんどうになったことがあります。自分で作るのがほとんどなので、献立を考え、材料をそろえ、調理して、食べて片付け。あーあ、この繰り返しが一生続くのだと思ってうんざりしたことが。

出来合いのもの買ってきたり、外食という方法もあるけれど、そうとばかりはいってられません。あきらめるしかないか、と思いました。

でも、うんざりという気持ちにとっぷりとつかっていたら、別の声がわいてきました。

「死ぬまで、一日3回もごはんがたべれるなんて、なんて幸せなんだろう。しかも自分で、自分の食べるものを決めることができるなんて、なんて、自由なんだろう。」

その声に耳を傾けているうちに新たな思いになれました。生きている限り、食事を取り続けるのだから、めんどうとか、うんざりという思いで、ご飯を作るよりは、ああ、幸せと思って作っていった方が楽しくいきることができる。ちょっと無理もあるかもしれないけれど、自分で思い込むもことはできるかもしれない。

ということで、先ほど書いた

「死ぬまで、一日3回もごはんがたべれるなんて、なんて幸せ、なんだろう。しかも自分で、自分の食べるものを決めることができるなんて、なんて、自由なんだろう。」

という思いを自分で、自分にいいきかせました。この思いも人にいわれたわけではありません。自分の中にある思いには違いないのですから。

というわけで、それ以来、食事のことを考えるのは、私にとって、楽しい作業になっています。一日に3回もご飯を食べるたびに、楽しくそのことを味わえるというのは、かなりお得な毎日です。別に毎回手をかけるというわけではありません。コンビ二のおにぎり食べたり、マックで食べたりもしょっちゅうです。でも、一食、一食を大事に考え、味わって食べています。

そうして、最近。料理の本に載っていた言葉を読んで更に思いを新たにしました。

「毎日の食事の度に、たべものから、『いのち』をもらっている。食事とは『命の刷新』である」と。うーん、深いです。

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